一日一章・マタイ福音書解説(第6章)


マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書6章

◆施しをするときには
6:1 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
6:2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
◆祈るときには
6:5 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
6:7 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
6:8 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
6:12 わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』
6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
6:15 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
◆断食するときには
6:16 「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:17 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
6:18 それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
◆天に富を積みなさい
6:19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
6:20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
◆体のともし火は目
6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
◆神と富
6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
◆思い悩むな
6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


ちょこっと解説

山上の説教は5章から7章にかけて語られたイエスの説教ですが、そのテーマはちょうど枠のような構造になっています。
どのようにして生きることが神様の御心に正しく生きる事であるのかを旧約聖書の律法を再解釈することによって説く5章、そして形だけの形骸化した信仰のわざに対しての非難と忠告が後の7章で語られています。
そしてその中心に置かれているのがこの6章の「主の祈り」なのです。

あくまでキリスト者の信仰とは祈りから始まり、祈りによって支えられる、祈りこそが信仰の大黒柱であることをイエスはここで言おうとしています。
主の祈りは私たちが欲しいものを求める祈りではなく、神様が私たちにお与えになろうとしているものを私たちが求めるように勧めます。
あくまで神様に自分を委ね、神様が私たちを用いてくださるという謙虚さをいただくために、私たちの実生活が保たれること(11節)、人との関わりのうちにゆるしが満たされること(12節)、罪に陥らないようにすること(13節)を求めるようにとイエスは私たちに教えたのです。
そしてそれこそが神様にとって、御名があがめられ(9節)、御国が地にも来て、御心が行われる(10節)ことに結び付いているのです。

私たちはいつも信仰を人の目に見えるところで表したがります。
それは、誰しも心のどこかで自分が立派な人物、価値ある人物と認められたいという思いを持っているからかもしれません。
神様はその思いを捨てなさい、とは言われません。それを他者に求めてもいつまでも満たされないよ、むしろ充分に満たしてくださるのは神様にしかできないことなのだよと勧めているのです。

私たちが感じ、生きているように思う「世界」は、いつも周りの人々との関係の中に閉じられています。
周りの人々と繋がっている実感、周りの人々から認められること、賞賛され、自分の言葉が誰かに響くことを通して自分の存在が承認されると感じている人も多いでしょうし、テクノロジーの進化によってそれはより深刻になっています。

しかしイエスは「空の鳥をよく見なさい」と言われます。
きっと広い大空を、自分の周りにいる誰も目に入らない、神様だけがおられる空を見上げさせるようにイエスは語られたのではないかと思います。
「顔を上げてごらん」
「大丈夫だよ、神様がきっと私たちに必要なものは全てご存じだから」
「明日のことまで心配しないで」
そう呼び掛けてくださっている幸いに、安心して身を委ねる時間を手渡してくださっているのです──「主の祈り」と共に。

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