善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。
──テモテへの手紙一 6:18
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もうかなり昔に話題になった方ですが、加藤千恵さんという、十代にして短歌を作る歌人としてデビューした方がいます。
『ハッピーアイスクリーム』という短歌集が本で出ていて、心に響く言葉で五・七・五・七・七の歌を歌っておられるので是非読んでみていただきたいと思います。
その中に、こういう短歌がありました。
「幸せに ならなきゃだめだ 誰一人 残すことなく 省くことなく」
ストレートで力強いメッセージだな、と思いました。
自分だけ幸せになるということだけでなく、誰一人残すことなく、すべての人の幸せを願う歌だと思います。
それはきっと、私たちにとって幸せというものが、決して平等に与えられているものではない、という感覚があるからこそ、このようなメッセージになっているのだと思います。
パレスチナ・イスラエルには死の海と書いて死海という湖があります。
その湖は、外から水が流れ込むものの、その水をどこにも外には出していきません。
そのため、どんどん湖の塩分濃度が上がっていって、今では魚が生きていけない湖になっています。このようなことから、現地のガイドさんは、「私たちも受けるばかりで自ら与えないなら、このように死んでしまう」と紹介するのだそうです。
このことは、私たちの幸せにも同じように言えるのではないでしょうか。
本当に幸せな人と言うのは、自分が受けるだけでなく、自分もまた、誰かに関わり、誰かに惜しみなく与え、喜んでもらうということを知っている人なのだと思います。
しかしそうはいっても、惜しみなく与える事なんかできない、と思う人もいるでしょう。
そう思う時に聖書を読むと、いつも隣人のことを考えなさい、相手に惜しみなく与えなさいと教えられていて、プレッシャーのように感じる人もいるかもしれません。
でも、聖書は無理に誰かに与えることだけを勧めているわけではありません。
川の流れを観察していると、その水が美しく保たれている時には、入ってくる量と、出ていく量がいつも同じである、ということがわかります。
ですから私たちも、そうあってよいのです。まず私たち自身がどれだけの恵みと喜びを受けているのか、些細なことから見出していくことが、まず初めにあるべきなのです。
誰かから自分はこんなにも与えられているものがある。そのような喜びと感謝の心を持つことなしに、今日の聖書箇所が勧めているような「喜んで分け与える」ことへと、私たちは向かっていけないのです。
3月、年度末です。新しい年度に新しい歩みを見据え、踏み出していく時期になりました。
この一年を振り返ってみたいと思います。私たちはこの一年、どのような幸せを受け取ってきたのでしょうか。
そして私たちは、死海のように、ただ誰かから幸せを受けるだけになってはいなかったでしょうか。
誰かの心に寄り添い、誰かが求めている幸せを、少しでも与え、あるいは喜びを分かち合うことができたでしょうか。
「幸せにならなきゃだめだ 誰一人残すことなく省くことなく」
神様もまた、私たち一人一人のことを、そのように見つめ、願っておられます。
聖書の全ての言葉を通して、それを私たちに伝えようとしておられるのです。
きっとあなたは幸せになれる。
そして、幸せを誰かと共有できる人になれる。
他ならぬ神様が私たちをそのように見ておられ、信じてくださっている。
そのことを私たちも信じながら、幸せな明日への新しい一歩を、踏み出していきたいと思います。