マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書9章
◆中風の人をいやす
9:1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。
9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。
9:3 ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。
9:4 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
9:5 『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
9:6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
9:7 その人は起き上がり、家に帰って行った。
9:8 群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。
◆マタイを弟子にする
9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
◆断食についての問答
9:14 そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。
9:15 イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。
9:16 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
9:17 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」
◆指導者の娘とイエスの服に触れる女
9:18 イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」
9:19 そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。
9:20 すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。
9:21 「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
9:22 イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。
9:23 イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、
9:24 言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。
9:25 群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。
9:26 このうわさはその地方一帯に広まった。
◆二人の盲人をいやす
9:27 イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。
9:28 イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。
9:29 そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、
9:30 二人は目が見えるようになった。イエスは、「このことは、だれにも知らせてはいけない」と彼らに厳しくお命じになった。
9:31 しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた。
◆口の利けない人をいやす
9:32 二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。
9:33 悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。
9:34 しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。
◆群衆に同情する
9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
ちょこっと解説
9章になると、特にユダヤ人の中でもファリサイ派の人々とその他の人々とのイエスの対応の差が顕著に表れてきます。
ファリサイ派の人々は初め、律法違反を咎めるような文脈でイエスに指摘をします(3節)。
徴税人マタイを弟子とする際には不浄規定や断食規定を理由としています。ただし、この断食規定は聖書に記された律法というよりも、律法を厳密に守るために後代の律法学者たちが自ら定めていった「昔の人の言い伝え(15章)」であり、人間が作り出した慣習を根拠にしています。
ついには「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している(34節)」という的外れな論理でイエスを貶めようとするのです。
そのような物言いから、彼らの心には律法に対する正しさはなく、自分たちの正しさにそぐわない者を排除したい、という欲から出た言葉であったことが明らかにされているのです。
そのような中でイエスは淡々と、神様の御心を顕すために働かれます。
罪を赦し、病をいやし、人々に憐れみを向け、共に食事を囲みます。
当時、誰かと共に食事をするという行為自体が「わたしはこの人の仲間ですよ」ということをアピールする手段として用いられていました。
ですから多くは権力や地位のある人々と一緒に食事をすることで、自らの地位を引き上げようとする手段として知られていたわけです。
イエスはそれを逆手に取り、多くの人々から嫌われ、孤独と差別に苦しむ人々を救うために用いられたのです。
「あなたは神に見捨てられてはいない」「わたしはあなたの友でありたい」というメッセージを込めて分かち合われる食事は、彼らの体の糧としてだけでなく、心をも満たしたことでしょう。
ついにイエスは死した娘さえもよみがえらせる力を人々に顕します。
それは、神様は失われたいのちさえも再びお与えになる力をお持ちであるということを人々に知らせるためでした。
指導者の家の周りで「笛を吹く者たちや騒いでいる群衆」は、当時死した人々を慰め、死者がいることを知らせるために、悲しんでみせたり同情することを仕事としていた人々のことを指しています。
形だけの悲しみや同情は余計な悲しみを増幅させるだけであり、彼らは本当に悲しんでいたのではないことが、少女をよみがえらせに来たイエスを「あざ笑った」ことからもわかります。
誰もが信じられないと思うような時に、神様はそこにおられます。
大きく喧伝され、人々の自分勝手な振る舞いに利用されるための権力や地位。その振る舞いの裏側で存在を無視され、取り除かれ、暗闇へと追いやられている人々。死の悲しみを形だけ同情し、神の救いと憐れみなどないとあざわらう罪なる振る舞い。
目を背けたくなるほどのこの世の有り様の中で、イエスは静かな、一対一のかかわりを持たれます。そして乱れ狂う世界の中で死にかけている私たちの手を取り、起き上がらせてくださるのです。