一日一章・マタイ福音書解説(第10章)


マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書10章

◆十二人を選ぶ
10:1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
10:2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
10:3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
10:4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
◆十二人を派遣する
10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
10:9 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。
10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
10:11 町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。
10:12 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
10:13 家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
10:14 あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
10:15 はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
◆迫害を予告する
10:16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
10:17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
10:18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
10:19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。
10:20 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
10:21 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
10:24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
10:25 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
◆恐るべき者
10:26 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
10:27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
10:28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
10:29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
10:30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
◆イエスの仲間であると言い表す
10:32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
10:33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
◆平和ではなく剣を
10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
◆受け入れる人の報い
10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
10:41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
10:42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」


ちょこっと解説

イエスは直弟子として12人をお選びになりました。
しかしそれは、彼らが他の人々より秀でていたとか、イエスの教えに長じていたからではありません。
むしろ弱さや問題を抱えた人々がたくさん含まれているのです。
マタイはすぐ前の章で弟子になったばかりの徴税人でした。
熱心党ゼーロータイとは当時ユダヤを支配していたローマ帝国から武力によってユダヤを解放しようとしていたグループでした。武力闘争や、時には暗殺を行う過激派(シカリ派)もあったと言われます。
のちにイエスを裏切り、売り渡す罪を犯したイスカリオテのユダ、そして三度の否認がはっきりと福音書に書き残されていくシモン・ペトロ、「雷の子らボアネルゲス(マルコ3・17)」と呼ばれたほど、おそらく喧嘩っ早かっただろうゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟など……。
何かしらの問題児ばかりがイエスの直弟子とされていることがわかります。
もしかしたら彼らがよりイエスの教えをより深く受け取るべき人々であったのではないかと思わずにはいられません。
しかしそのような欠けのある人々が初代教会を力強く建てていったことを考えると、神様の選びというものは私たちの判断を超えて恵み深いものです。

イエスはこの12人を宣教へと遣わしていきます。
そこで彼らが伝えたのはまず「平和(12節)」でした。
しかし一方で、受け取る人々の側には、弟子たちに危害を加えたり、反対し、迫害する人々も多くいることを、より多くの言葉でイエスは忠告していきます。
そしてそれによって折れることがないように、それは「わたしの名のため」の迫害であると言い、家族でさえ敵対するような関係になったとしても「恐れるな」と励ましていくのです。
これは、イエスの教えこそが絶対正義であり、他の意見を決して受け入れず無視しなさい、ということではありません。
「わたしよりも、、、父や母を愛する者は…」と言われている通りに、8章で教えられていた優先順位のテーマがここにも響いています。
クリスチャンは家族と喧嘩をしに行くことを勧められているのではありません。
あなた自身が救われたと感じたこと、その信仰を家族によって否定されたり、取り除かれないように、イエスは予め「わたしが来たのは…剣をもたらすために来たのだ。(34節)」と、つまり「親しい人々があなたの敵になってしまっても、あなたのせいではない」と言われたのです。
あなた自身の尊厳と救いとは誰にも踏み入ってはならないものであり、イエスはあなたを守るために、そしてそれを必要とする他の誰かに喜びを持って伝えられるようにこのように言われたのです。

クリスチャンの生き方、関わり方は、「平和」を伝えるために送り出されているという原則がここにあります。
決して無理強いや信仰の強制をしたり、否定する人々を説き伏せるのがキリスト教の宣教ではありません。
たとえ受け入れなくとも、その信仰をそのままに受け止めてくれる人──「水一杯でも飲ませてくれる(42節)」人を、同じ信仰を持つ人とと同じように見なしてくださる神様の慈しみにクリスチャン自身も立って関わっていくこと。
一人一人がイエスの教えから受けた喜びを分かち合っていくこと。
それこそがイエスが幸いと言った「平和を実現する人々(5:9)」の在り方であるのです。

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