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隣人は遠い遠いあなたの親戚


従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり…

──エフェソの信徒への手紙 2:19

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ある人が、自分の病気のリスクを知りたくて、遺伝子を検査してくれる会社に唾液のサンプルを送ったら、ついでに自分の祖先はどこから来た人かを調べてくれた、という話をしていました。預けたDNA情報が世界中の人々と比較したことで、その人の祖先は18万年前のアフリカ東部に生きていた人だったことがわかったそうです。
その血筋がアフリカ東部からシベリアを経由して日本列島に至ってきて、途中でネアンデルタール人の血も少し交じり、ネアンデルタール人の特徴である「方向感覚に劣る」という特性を継承したことまでわかるというのも驚きでした。

そのような形で祖先の構成比率を出してみると、48パーセント日本人、という結果が出たそうです。半分くらいの祖先が日本にあたる土地に住んでいて、何百年も前に枝分かれした親族は実は世界中にいる、ということがわかったそうです。
もしかしたら私たちも、調べてみたら家系図とか、なになに人、という呼び方もあんまり意味がなくなるみたいに、世界中に親族家族が散らばっているかもしれません。

FacebookというSNSがあります。あのSNSは多くの人が実名で登録していますが、「友達かもしれません」という人がおすすめで出てきます。
自分につながっている友達一覧からおすすめを出してきていると思うんですが、これを、友達の友達の友達の友達、と4、5人くらいつながっていくと、実は全世界の誰とでもつながることができる、という統計があるんだそうです。
こう考えると、なんだか日本人とかアメリカ人とか韓国人とか、友達だとか家族とかという文類を飛び越えて、この世界に生きるすべての人が、意外と身近な相手に感じられるのではないでしょうか。

キリスト教では、洗礼を受けてクリスチャンになった人々の名前の後に「兄・姉」とつけて週報などに記載をすることが多くあります。
それは、神様を信じる人は皆、神様が用意してくださる天の国では神様を親として、皆が兄弟姉妹とされる、という聖書の教えからきているからです。

キリスト教を信じていてもいなくても、実はDNAを調べてみたら、世界中の人って、意外とわたしたちとつながっている。場所も血縁関係にも縛られない、ただ一緒に神様の言葉を聞いている隣の人が、もしかしたら遠い遠い親戚かもしれない、家族かもしれないという現実の中に生きているのです。
神様は、その何千年もの人々の生き方、命と命のつながりを見届けてきたお方です。
だからこそ、私たちにとって本当に安心できる、救いとなる関係性は何かと考えたとき、それは兄弟姉妹という、家族と言う名の関わりなのではないかと考えたのかもしれません。

私たちにとって必ずしもこの世の家族は、理想的ではないと思う人もいるかもしれません。
しかし、イエス・キリストが願い、そう生きてほしいと教えた聖書の言葉に沿って私たちが生きることができるなら。自分の隣にいる人を、理想的な家族の一員のように大切に思い、気遣い、支えあって過ごすことができるなら。そこにきっと、神様が造りたかった天の国が、私たちの目の前に見えてくるかもしれません。

私たちは皆、日々過ごす中で、時には悩ましいこと、壁にぶつかることもあることでしょう。
だからこそ、私たちの隣にいる人に対して、私たちは互いに助け合う家族の兄弟姉妹なんだという気持ちで、互いに関わりあっていきたいと思うのです。