わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い
右の御手から永遠の喜びをいただきます。
──詩編 16:11
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家に帰る途中、高校生が二人、お付き合いしているカップルでしょうか、仲睦まじく手を繋いで並んで歩いているのを見ました。
それを見て、思わず笑みがこぼれました。
登下校のような短い時間でも、思いを寄せている人と手を重ねるだけで、とても幸せな気分になるものです。
それほど、私たちが好意を寄せている誰かに触れること、あるいはその誰かに触れられるということは、大きな力を持っている行為なのだなと思います。
旧約聖書を開いてみると、神様の姿は基本的に目に見えないお方であるのですが、何か神様が働かれるときには必ず「御手によって」働くという表現がよく見られます。
神様はその御手によって、人々を救い出し、あるいは罪を犯したものを悔い改めさせ、害をなす敵から人々を守り、包み込んで安らぎを与えてくださる。そのようなものとして、「御手」の働きという表現で、神様の働きを表現してきたのです。
私たちが誰かと深い関わりを持ち、触れるということをする時にはまず手を使います。
だから神様も私たちに関わるときには、その御手をもって関わりを持たれる──そのようなイメージで、聖書を書いた時代の人々は神様を捉えていたのだと思います。
そしてイエス・キリストという姿で神様がこの世に降りてきてくださったことによって、そのイメージはより確かなものになっていきました。
イエスはその手で触れることによって、多くの人々の病をいやし、その心を救って、喜びと賛美に満たしていったからです。
イエスが天に昇られたあと、弟子たちがその働きを受け継ぐことになりました。
だからキリスト教では、私たち一人一人の関わりが、誰かの心を助け、救っていくとき、そこに神様が働いてくれている、と捉えます。
神様が働いて、その御手によって誰かを救っていく、そのために私たちの手が用いられていく、という考え方があるのです。
私たちの手、私たちの言葉、私たちの関わりは、周りの人にどのような影響を及ぼしているでしょうか。
私たちが誰かに触れることで、お互いに喜びを呼び起こすような、そんなかかわりができているでしょうか。
あなたの手は、握りこぶしを作って、誰かを殴って傷つける事もできます。
しかしあなたがその手を開けば、涙を流す人の背中を優しくさすってあげる事や、不安を抱えている人の手を取ってあげることもできるのです。
共に喜び合う時に、ハイタッチのようにその手を合わせることだってあるでしょう。愛する人と固く結び合わされる手もあるでしょう。
神様はそのようにあなたの手を用いるようにと、願っておられます。
あなたの手は、誰かを癒し、慰め、幸せにするためにあります。
あなたの命をお造りになった神様が、あなたの手も、そのように造ってくださいました。
あなたの言葉も、あなたの立ち居振る舞いも、すべてそうなのです。
私たちの手、私たちの言葉、その関わり方が、周りの人々の嬉しい気持ちにつながるように意識をして日々を過ごしてみたいと思います。