マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書19章本文
◆離縁について教える
19:1 イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
19:2 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
19:3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
19:4 イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
19:5 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
19:7 すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
19:8 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
19:9 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
19:10 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。
19:11 イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
19:12 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
◆子供を祝福する
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
◆金持ちの青年
19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
19:27 すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」
19:28 イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。
19:29 わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
19:30 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
ちょこっと解説
イエスとファリサイ派の人々の間で、「夫が妻を離縁する(3節)」ことについての律法が話題に上がっています。
以前から彼らはイエスを「試そう(3節)」として律法についての投げかけをしていますが、これは複数の答えができる問いかけであり、どう答えても相手を非難できる罠として問いかけられているものです。
これまでは全く別の視点を持ち込むことでこの罠を回避してきたイエスでしたが、今回の場合にはイエスの返答を考えた上で彼らは問いかけをしています。
イエスが「離縁することは律法に適っている」と答えれば、イエスが説いた箇所を引用して責めることができます。逆にイエスが言ったように、「適っていない」という趣旨のことを言えば、旧約聖書の律法を神から授かった伝説の人物モーセを蔑ろにすることになります。それは代々ユダヤ人たちが守ってきた信仰の否定になりますから、異端者としてユダヤの共同体から排除する理由にできるのです。
このようなことが議論の対象になる背景として、当時の夫婦関係において夫は人権を持ち、妻と子どもは「夫の所有物」に数えられていました。
これは、女性が一人で生計を立てることのできない社会システム上、男性の庇護下に置くことでその生活といのちの尊厳を保つためでした。
しかし逆にこの立場が女性や子どもの立場を男性よりも下に位置づけ、本来離婚の理由にもならないような自分勝手な理由で離縁状を提出することで、一方的に妻を切り捨てることが横行していたのです。
本来結婚が人と人とが決めた物事ではなく「神様が結び合わせてくださったもの」として起こっているものだとイエスは説いています。
それは、アダムに対等な存在としてエバが神によって創造され夫婦とされていったように、妻である女性が便宜上財産として数えられていても、夫の自由に扱えるモノ扱いすることを神様は望まれない、という視点からイエスは語っていったのです。
男尊女卑の文化の中で、男女平等の萌芽が既にここに示されていることは驚くべきことですが、このような解釈ゆえに、女性と同じ立場に置かれていた子どもにも祝福し、イエスという「大先生の権威」を理由に関わりを妨げないようにと弟子たちに命じるのです。
イエスはたくさんの財産を持ち、律法を文字通りに守ってきた青年との対話の中で、「財産を手放し、貧しい人々に施す」ことを勧めています。
当時、財産をたくさん手に入れることは、神様に正しい人に対する神様からの祝福だと考えられていました。つまり、彼が主張しているとおりに掟(律法)を守ってきたことの報酬として財産が与えられている、という捉え方が一般的だったのです。
だからこそその財産を手放すことが神のみ心に最も適ったことである、というイエスの答えに、青年は悲しみながら立ち去り(22節)、弟子たちは「誰が救われるのか」と驚いているのです(25節)。
ここで再び語られるテーマとして、誤った信仰のあり方として、神様と取引しようとするペトロの姿が描かれます。
「従ってきた」報酬として「救い」が与えられる──このような取引の考え方で信仰を捉えようとすると、いつしか人は逆に捉えてしまうようになるのです。つまり、神から救いを引き出すためにその行為をする、その行為さえすれば救われる、という変容が起きるのです。
これが、16世紀にカトリック教会がその信仰を見失い、宗教改革者マルティン・ルターによって聖書に立ち返ることになった人の弱さでもあります。
あくまで信仰とは、神様を人間の側から動かし救いを引き出す手段ではなく、神様から与えられているすべてのものを人が感謝して受け取るための「器」であるからです。
イエスがペトロのその的はずれな捉え方に配慮し、「イスラエルの中に部族を収めることになる(28節)」と言ってくださっているのは、彼が十字架において一度その信仰に挫折し、本当の信仰に立つことができたあとに実現する話です。
それはこの世の権威を振りかざして利己的な暴力を振るうような立場ではなく、むしろ謙虚に「仕える(マタイ20・26,28)」者であるのです。
だからこそ、天の国においては後に救われた者(弟子たちよりも後にイエスに出会い信仰者となった者)を喜び迎えるために「先にいる多くの者(最も早くイエスに出会い信仰を与えられた弟子たち)が後になる」ことを喜んで受け入れるような信仰を、イエスは弟子たちに説いているのです。