一日一章・マタイ福音書解説(第24章)


マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書24章本文

◆神殿の崩壊を予告する
24:1 イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
24:2 そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
◆終末の徴
24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
24:4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
24:5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
24:6 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
24:8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
24:9 そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
24:10 そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
24:11 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
24:12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
◆大きな苦難を予告する
24:15 「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、
24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
24:17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
24:18 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
24:21 そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
24:22 神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
24:23 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
24:24 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
24:25 あなたがたには前もって言っておく。
24:26 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
24:27 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
24:28 死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。」
◆人の子が来る
24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
◆いちじくの木の教え
24:32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
24:33 それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
24:34 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
◆目を覚ましていなさい
24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
24:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
24:44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
◆忠実な僕と悪い僕
24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
24:46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
24:48 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、
24:49 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
24:50 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
24:51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」


ちょこっと解説

エルサレムにあった神殿は、かつて他国からの侵略によって破壊され、捕虜として連れ去られたユダヤ人たちがパレスチナの地に戻ってきてから四十年以上かけて再建されたものでした。弟子たちはその荘厳さに目を奪われていました(マルコ13・1)が、イエスは一つの石も残らず崩壊することを預言します。
神殿は人々にとって、ただの建造物ではなく、むしろ信仰のよりどころであり、神様がそこにおられるということを目に見える形で表したもの、と捉えられていました。
ですからこのようなイエスの物言いもまた、ファリサイ派の人々にとっては神への冒涜、人々の信仰を惑わす言葉と捉えられる恐れがありました。
しかしイエスがこのように言われたのは、目に見え、手で触れられるこの世のものは何一つ永遠に残るものはないということでした。
実際、紀元七十年にはローマ軍によって破壊されることになります。しかし本当に大事なのは荘厳な神殿ではなく、どこにいても、何も持っていなくても、神様に心を向けて礼拝をすることである、とイエスは言わんとしているのです。
ヨハネ福音書ではこれを推し進め、イエスを神殿と同一視しています(ヨハネ2・19、4・23-26)。
つまり、イエスこそ神様が現臨している神殿であり、死してなお三日目に復活し、永遠に生き続ける(壊れることがない)存在となられたことから、どこででもイエスを通して礼拝することこそが真の礼拝である、と私たちに教えるのです。

私たちの信仰は、目に見えるものに左右される弱さを持っています。
お守りを考えてみるといいでしょう。本来お守りという目に見える刺繍袋を通して、神様からの「守りのパワー」を分け与えられていることを信じるものであるはずなのに、そのお守り自体が壊れたりなくしたりすると、途端にその守りのパワーまでもが失われたかのように感じてしまいます。
それは、いつの間にかお守りと言う目に見えるアイテムを、神様として拝んでいるということなのです。
神様は神殿が壊れても聖書が燃やされても傷つかず、いなくなることはありません。どんなにあなたの周りの状況が絶望的でも、手元に聖書がなくても、主の祈りと、記憶と心に刻まれた聖句があなたを助けてくれます。それすらなくても、「神様」と呼び掛けるその一言の祈りさえ、神様は聞き逃すことはありません。大事なのは、神様に心を向けることそのものだからです。

弟子たちもまた、神殿の崩壊予告におびえ、来ると言われていた世界の終わり(終末)はいつ起こるのか、何が起こるのかとイエスに尋ねています。
ここでイエスが弟子たちに教えていることもまた、目に見えるものに振り回されるなという教えが多くあります。
目に見える偽物のメシアが大勢現れること、戦争や天変地異など、人々の心を揺さぶり、心の平安が乱される時代が必ず来るのです。
しかし「そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない(7節)」とイエスは断言するのです。

私たちの力が及ばない天変地異によって私たちの世界が壊滅的な被害を被った時、世界の終わりだ、天罰だと叫ぶ人が必ずいます。
しかしイエスはそれを、私たちを不安にさせるものではなく「人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」と、時を見分けることに重点を置きます。
嵐の中で波に悩まされていた弟子たちの船に、イエスが乗り込んだ瞬間に凪になった(14章)ように、イエスを信じる事によって、どのような時にも揺らぐことなく、惑わされることのないようにしなさい、必ず再びイエスがやってこられ、この世界を天の国にしてくださるという信仰に立って、むしろ安心していなさい、と呼び掛けてくださっているのです。
なぜなら神様ご自身である「わたしの言葉(31節)」は、天地が滅びても決して滅びることなく、揺らぐことがないからです。神様は言葉であり(ヨハネ1・1)、その言葉によって私たちは信仰を与えられ、どのような世界の中にあっても生かされていくからです。

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