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2026-02-17(火)
聖書を読むこと、それについて何かしらの黙想を書くことは、自分にとっては楽しいことだし、ずっとこうしていたいと思うことのひとつだ。だからこそ自分は牧師という働きをして暮らしているのだろうし、「好きなことを一生の仕事にする」ことは勧められてよいのではないかと思う。
もちろん書けなくなる時、なかなか言葉が出てこなくて大変な時もあるけれども、その大変さによって、それが嫌いになってしまうことはない。枯渇したなら補給すればよいのだ。イエスだってその働きを担うために一人山へと退き、祈りの時間を──神との関わりを──たびたび持っていたのだから。
インプットし続けるとアウトプットしたくなるし、アウトプットばかりしているとインプットしたくなる。それはつまり同じ仕事を続けるということは学び続けるということであり、それも含めて「好きなこと」でなければならない、と思うのだ。
2026-02-18(水)
カレンダーに自分のタスクとかかった時間を書き込むと、自分がどれだけ何に時間を使ったかわかって良い、というライフハックを試しているのだが、これはデジタルでやるべきではない、という感じがしたのでやめることにした。手書きのシステム手帳などでやるべきだ。ただ、これだけのことをやったんだなあという達成感は得られるのでおススメできる部分もある。
やってみてわかることだが、日によって集中が途切れる日と過集中のようにびっちり隙間なく埋まる日のムラが激しい。今日はどうしてもできない方の日だった。
明日から妻と子が実家に旅行のため、しばらくプチ一人暮らしになる。何をしようかと考えて、「美容室と通院」が最初に思い浮かぶあたり、もっと息抜きが必要な気がする。先週から片目だけ瞼が痙攣しっぱなしなのが気になるので、治ればいいな。
2026-02-19(木)
学校で教師をやる、ということの一番の楽しみは授業をすることなんだけど、一番やりたくない業務の一つがテストの採点と成績を付けること。
だいたい聖書を教えるということに評価を持ち込むということ自体にちょっとどうかなと思う部分もあって(学校の科目の一つである以上は必要なんだろうけれども)、毎年この時期は気分が乗らない。ワタシ ハ マル カ バツ カ ヲ ハンダン スルダケ ノ マシーン デス(無心で赤ペンを走らせる)。
今日から妻と子どもが旅行に出かけているので、つかの間の独身生活が数日始まる。が、上記の理由があるので結局溜まっている仕事を家に持ち帰って延々と仕事をするということになりそう。いつもは家ではできないので助かるは助かるのだが。
茨城県が不法就労外国人の情報に報奨金を出すという新制度を発表したことが話題になっている。こんな制度にGOサインを出す意味が分からない。
金がもらえるとなると人間は他者への愛も憐れみもかなぐり捨てて無実の人を十字架につるしにかかるという話が2000年前の書物にさえあるというのに、人間は何も学んでいないし変わっていないことがよくわかる。
2026-02-20(金)
今週はなんだか長い一週間だった。今週は週5で毎日聖書のメッセージを語っていたので、なんだか聖書の話をする時は頭がいい感じに回転してくれている感じがした。聖書に関わる話をする事によって、充実感がすごい。自分が牧師だということを思い出させてくれる。
給料日(お小遣い日)ということでずっと買いたかった『証し──日本のキリスト者』を買った。分厚い。
クリスチャンの信仰って、聖書を読むことだけじゃなくて、他のクリスチャンの信仰についての話を聞くことによって励まされたり力付けられたりすることってある。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである(マタイ18:20)」とイエスも言っているように、人と人とのつながりの中にこそ、私たちと、そして神は生きて働いているのだなと思う。
2026-02-21(土)
飼い猫が就寝時に枕の占有権を主張してくる。頭が乗っていてもそれにちょっと被さるようにモフモフの尻で押し出そうとしてくる。仕方なく少しズレると枕の八割方を奪われてしまった。人は猫よりも偉いはずなのだが、まあイエスも「偉くなりたい者は……皆の僕になりなさい(マタイ20:26)」と教えているし、これも訓練と割り切ろう。相手は猫だが。
休日返上でテストの採点をしていた。家でも仕事が出来るのはよいのだが、休めていない気がする。心が落ち着かない。
StardewValley を再開した。3年目の春が終わったところ。これをプレイし始めたのが3年前くらいなので、ほとんど実時間と同じくらいの進捗である。ぶっ続けでやるんではなくて、たまにやるから楽しいゲームの枠。
2026-02-22(日)
この数日、娘と妻がいないということを最大限有効活用しようと思ってたけど、いつも家に帰ってからは子どもの世話をして寝る、というルーティンだったから、いきなりそれがなくなると一体何をすればいいかわからないまま、休日なのに持ち帰った仕事をし、合間にぼんやりYouTubeを観てしまったり、PSvitaでなんとなくゲームをしたりと、時間を「潰す」3日間を過ごしている。
スティーブ・ジョブズだって言ってたではないか。「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?NOと答える日が何日も続くようであれば、何かを変えなければならないということだ。」
その通り、NOとしか言いようのない数日間。明日は祝日だけど仕事が始まる。明日からは1日終わってYESと言える日にしたい。
2026-02-23(月)
今日は数ヶ月に一回ある牧師同士が集まる会があった。
キリスト教主義学校の子どもたちが教会に通い、洗礼を受けることによって、大学への推薦を勝ち取る、ということが話題に上がり、彼らがそれを大学への片道切符ではなく、生涯に関わる神様との約束として受け止めてくれるようにするために、教会はどのように彼らを受け止め、教え、関わっていけばよいだろうかと二時間以上も議論をしていた。
大学への推薦という目的のために教会へと足を運ぶことになる子どもたちを、形だけの洗礼を授けることは簡単なことだ。しかし、そのような出会いであってもひとりひとりの救いとその後の生涯のために何か種まきができないか、と真剣に考えることのできる同僚たちと共に働いているのだということを思うと、とても恵まれた気持ちになるし、それぞれの場所で頑張っているんだと励まされる。
今週の一言
三行日記における「三行」というのは、日記を書くということへのハードルをできる限り下げて「最低三文でもいいじゃない、日記なんだし、肩肘張らずに気楽に書けばいいのさ」という意味での三行、と捉えている。
なので実際には三行では終わらず三段落、みたいな感じだし、まあ書きたいから書いている、というスタンスであればどれだけ長く書いても「三行日記」で良いのかもしれない。