マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
一緒に福音書を通読してみましょう!
通読の目次はこちらから。
自分のペースでお読みいただければ幸いです。
マタイ福音書17章本文
◆イエスの姿が変わる
17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
17:10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
17:11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
17:12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
17:13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
◆悪霊に取りつかれた子をいやす
17:14 一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、
17:15 言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。
17:16 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
17:17 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
17:18 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
17:19 弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
17:21 (†底本に節が欠落 異本訳)しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。
◆再び自分の死と復活を予告する
17:22 一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
17:23 そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
◆神殿税を納める
17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
ちょこっと解説
イエスが山の上で白い衣をまとう姿に変わったという「主の変容」と呼ばれる出来事こそ、イエスの地上の生涯におけるターニングポイントにあたる出来事です。
モーセとエリヤの二人が現れ、イエスと語り合っていたと記されていますが、このモーセとエリヤは旧約聖書における律法と預言の象徴的な存在として登場しています。
彼らがイエスと何を語り合っていたかについてはルカ福音書で「エルサレムで遂げようとしておられる最期について(ルカ9・31)」と追記されています。
イエスの地上の生涯の最期について旧約聖書を代表する二人と話し合うということ、そして神ご自身の現臨を表す「光り輝く雲(5節)」が「これ(イエス)に聞け」と語られたのちには、二人は消えてイエスのみが残っていた、ということから、旧約聖書から続く神様のご計画としてイエスの十字架は起こる、ということの暗示がここでなされているのです。
この出来事を見た弟子たちに「人の子(イエス)が死者の中から復活するまで……(9節)」と語られているように、この白い衣を着たイエスは十字架の死の後にイエスが復活することを表していたのです。
しかしこの時点では、弟子たちが十字架の意味を捉えきれていません。
ペトロも必死に応じようと「仮小屋を三つ建てましょう(4節)」という的はずれなことを言っています。
ペトロは旧約聖書の儀式の間に神様が宿られる場所を作るという旧約聖書の伝統に沿って言ったのですが、なんとかしてこの奇跡的な出来事、しかも旧約の伝説的な人物が一同に介しているこの状況を、この場に留めようとしたのかもしれません。
弟子たちは派遣の際(10章)、イエスから悪霊を追い出し、病を癒やす力を委ねられていました。
しかしここで弟子たちが癒せない患者が登場します。
「からし種」というのは当時最も小さいと考えられていた植物の種の一つです。
弟子たちの信仰をそのようなものにたとえられたイエスの言葉からもわかるとおり、これは弟子たちの無理解、不信仰を強調するシーンとしてここに置かれています。
ここでイエスは信仰とは何かを言おうとしています。
つまり、ペトロがイエスを諌めたり、仮小屋を建てようとする振る舞いに表されているように、立派な信仰とは神様のことを人間がすべて理解するということではありません。
人間には理解できない神様の計画に自らを委ね、常に尋ね求めることが信仰であるのです。
「信仰があれば山をも動かせる」という奇跡の力を得るために信仰があるのではなく、あくまで神様がなさろうとしているみ心に自分を一致させていく、そのために神様は何をなさろうとしているのかを捉え続けていこうとする歩みこそが、真の信仰であるとイエスはここで弟子たちに教えようとしているのです。
このような不信仰を表す弟子たちに、イエスは神殿税についての話を通して実は天の国における神様と人との関わりを教えています。
イエスを信じている弟子たちはすでに、イエスとの関わりを通して神の子、神の家族の一員として招き入れられていることを、王とその子どもの関係性の中で言おうとしています。
しかし同時に、「彼ら(イエスを信じていない/神の家族の一員というアイデンティティを理解しない人々)をつまずかせないように(27節)」と言われている通り、イエスはその教えによって、この世の仕組みに無理に反抗することは望まれません。
10章でも語られたとおり、イエスが目指す神の計画の最終目的は「平和」であり、そのために必要な一時的な「敵対」は起こりうるものであったとしても、キリスト教は自らその争いを引き起こし、教えを望まないものにも強制をするような教えではないことがイエスの言葉には表されているのです。