マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書20章本文
◆「ぶどう園の労働者」のたとえ
20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
◆イエス、三度死と復活を予告する
20:17 イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。
20:18 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、
20:19 異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」
◆ヤコブとヨハネの母の願い
20:20 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。
20:21 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
20:22 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、
20:23 イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」
20:24 ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。
20:25 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
20:26 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
20:27 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。
20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
◆二人の盲人をいやす
20:29 一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。
20:30 そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。
20:31 群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。
20:32 イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。
20:33 二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。
20:34 イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。
ちょこっと解説
19章の最後に語られた「先の者が後になり、後の者が先になる」という逆転について、イエスは「ぶどう園の労働者」のたとえで加えて説明しています。
主人によって雇われた人々はその働いた時間に関わらず同じ賃金を払います。
もし、夜明けから一日中働いた人々から賃金を支払われていたら、彼らは夕方にやってきた人々の賃金は自分たちよりも少ないと決めつけたまま去っていたでしょう。
しかし敢えてここで主人が「短く働いた者」から支払っているのは、主人にしか見えていない部分にも支払っているからです。それはつまり、彼らが「働いていない間に抱えていた不安」にも主人は目を向けている、ということです。
日雇いの労働者はその日の仕事がなければその日の食事にもありつけることが難しい人々がほとんどでした。
だからこそ、「働かざる者食うべからず」が非情な現実としてあったのです。それは、働きたくても働けない者まで「怠けている」と蔑み見捨てていくような、隣人への無関心と愛の欠如でした。
だからこそイエスは、人々が目を向けていない一人ひとりの心のうちまで神様は見通して報いてくださる、ということをここで伝えます。
そうすることによって、自分の利益、自分の報酬、自分の対価を自分の行為によって引き出そうとする弟子たちの信仰を悔い改めさせようとしているのです。
しかし、イエスと弟子たちとの認識のズレは、どんどん広がっていっていることがわかります。
三度目の十字架の予告において、前回は悲しんでいた弟子たちの反応が今回では一切描写されません。
もはや弟子たちがイエスから心を離し、さらなる無理解のなかにあったことを示しています。
そしてその無理解がさらに強調されているのが、「ヤコブとヨハネの母」からの申し出でした。
イエスが死んだ後の生活が保証されるのか、それにふさわしい立場を残してくれるのかという的外れな要求によって、イエスが教えていることが全く伝わっていないことが繰り返し描写されていきます。また、そのような抜け駆けをした、と他の弟子たちが怒っていることからも、例外的な弟子はいなかったことが表されています。
ここでイエスが受ける王座とは「すべての人に仕えるしもべ」としての王の立場であり、そのために受ける洗礼とは「十字架の死の苦しみ」であったのです。
このように、この世の権威と地位への執着から逃れられない弟子たちと対照的に、そのすべてを失った二人の盲人が描かれていくのです。
彼らは神様の憐れみと救いだけをただ願います。
目が見えるようになった後、彼らは金儲けのための仕事を再開したり、地位を築き上げるために有力者との食事会に奔走したりしません。「イエスに従った」のです(34節)。
それはまさに「皆に仕える者、皆のしもべ」となるイエスに従っていく真の信仰の在り方を強調し、この世の欲から離れられない弟子たちの的外れな信仰とが、対照的に映るように挿入された出来事でもあるのです。