一日一章・マタイ福音書解説(第23章)


マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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マタイ福音書23章本文

◆律法学者とファリサイ派の人々を非難する
23:1 それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。
23:2 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
23:3 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
23:4 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
23:5 そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
23:6 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
23:7 また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。
23:8 だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
23:9 また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
23:10 『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。
23:11 あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
23:12 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
23:13 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
23:14 (†底本に節が欠落 異本訳)律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。だからあなたたちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。
23:15 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。
23:16 ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
23:17 愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。
23:18 また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
23:19 ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。
23:20 祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。
23:21 神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。
23:22 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。
23:23 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。
23:24 ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。
23:25 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
23:26 ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
23:27 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
23:28 このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。
23:29 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。
23:30 そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。
23:31 こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。
23:32 先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。
23:33 蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。
23:34 だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。
23:35 こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。
23:36 はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」
◆エルサレムのために嘆く
23:37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
23:38 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
23:39 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」


ちょこっと解説

さすがのイエスも、これだけ旧約聖書聖書の記述に基づいて語り、悔い改めへの告知をしてなおイエスの言葉を受け入れないどころか罠にかけようとするファリサイ派の人々を、厳しく非難しています。
その内容はこれまで言ってきたことをあらためてまとめ直したものでもあります。
これだけユダヤの教師たちだけを狙い撃って長々と非難をしているのは、ここまでイエスに対する無理解と、そしてその後に起こっていく無実の十字架刑へと追いやっていく残忍さ、傲慢さを、このマタイ福音書の筆者が知っているからです。
だからこそ、山上の説教でも触れたようにイエスの呼びかけを神からの呼びかけとして語り、神の言葉を聞くために選び出されたユダヤ人──「神に祈り格闘する者イスラエル 」の民であるならば、今こそ悔い改めるべきだという最終通告をここでイエスに語らせていくのです。

ファリサイ派や律法学者たちのすべてが悪かったということではありません。
「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。(15・18)」と言われていたとおり、ここで改めて「盃の内側と外側(26節)」にたとえ、彼らの教えと、彼ら自身の振る舞いをイエスは切り分けて断じています。
律法の教えそのものは正しく、それを守るようにと勧めつつ、人がその教えを誤解し、自分の利益のために利用していることこそが罪深いことなのだと指摘していくのです。
そして、その罪は旧約聖書における最初の殺人事件、アベルの時代から累々と積み重ねられてきたものであり、それを悔い改めて神様に赦されないなら、それだけの報いを受けることを覚悟しなければならないとイエスは告げます。
これは、神様からの罰ではなく、むしろ自分たちの振る舞いによって自ら引き寄せてしまった滅びであるのです。

キリスト教は「信じれば誰でも救われる」宗教ですが、逆に「信じなければ救ってくれないのか」と言われることがあります。
それは違うのです。前章の婚宴のたとえにもあったように、救われたいのなら、神様が差し出している救いを受け取るための信仰が必要なのです。
自ら信じることを拒む者を、神様は洗脳して心を変えてまで救おうとはなさいません。
その力があってもそうされないのは、悪人でさえ愛しておられるからです。
それは、たとえ間違った道に進もうとしていても、その選択をした自由意志を奪わない、ということと同義です。
親だからといって、子の自由意志を奪い、人形のように人生をコントロールしてしまうのは愛ではないように、神様もまた、信じることを拒む者を救うことは出来ないのです。
また、信じずして得ることが出来ないものを、信じることなく得ようとするのは一方的な強奪であり、まさにそれこそ「礼服を着ていなかった者」、ファリサイ派の人々がやっていたことと同じことになります。
神様は私たちにとって、救いの自動販売機ではありません。祈りや信仰という名の硬貨を入れれば、自分の好きなものをガコンと出してくれるわけではないのです。
ここに、天の国が「関係性」であるということが響いています。
神様も私たちと同じ人格的な存在であり、神様が私たちへ最大限の愛と尊重を持って関わろうとしておられるように、私たちもその愛に立とう、その思いを受け取ろうという心から、信仰と救いとが始まるのです。

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