知れば、もう恐くない


人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。

──箴言 29:25

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アメリカの公民権運動に関わった心理学者にゴードン・オールポートという人がいますが、彼は著書『偏見の本性』の中で、偏見や恐れがどのように生まれるのかを考察しています。
彼は実験によって、偏見や恐れの原因は、「知らない」ということから生まれる、という説を提唱しました。
つまり、私たちは相手や物事を知らないからこそ恐れ、偏見をもって見てしまうことがある。けれどもそれをちゃんと知ることによって、偏見や恐れが解消されることがある、というのです。

聖書科の授業でキリスト教についてのイメージを聞いたとき、その返答に「最初はキリスト教はよくわからない、あやしいものだと思っていたけれど、一年間学んで知れたので、今は怪しいものだという気持ちはなくなりました」と書いてくれていた生徒がいました。
このように、私たちが怖いと思うものがある時、実はそれについて「よく知らない」ということがよくあるのではないでしょうか。
この日本では宗教がその筆頭として挙げられることだと思いますが、政治や世界中で終わることのない戦争について、あるいはもっと身近な、あなたの隣に住んでいる、まだよく知らない人のことなど……私たちは知らないからこそ、偏見を持ってしまったり、理由もなく怖いなあと感じることが意外とたくさんあるかもしれません。

しかしだからこそ、聖書は私たちに今日の言葉を薦めるのです。
「人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。」と。

旧約聖書の中で、高いところというのは、神様がおられるところを指します。そこで、神様が見ておられる視点を得るという意味もあります。
つまり、私たちがなんだか怖いな、と思う時、神様はその恐怖をときほぐすための知恵を、私たちに与えてくださるお方であるということです。

神様が全知全能であるように、私たちもこの世の全てのことを知ろうとする努力を欠かさないこと。
それは神様が見ておられるように、高いところから俯瞰して見ることによって、全体を見渡して、偏見なく物事を見つめることです。
神様はそのように私たちに、「知ること」の知恵を求めるようにと勧められているのです。

旧約聖書に記されている天地創造の物語の中で、人間は善悪の知識の実を食べたことで、神様と同じ賢さを手に入れた、と記されています。
人間はその神様と同じ賢さを、自分さえよければいいという思いで使うようになり、神様に反抗するようになってしまいました。
それでも神様はその賢さを人間から奪うことはされませんでした。繰り返し、その賢さの正しい使い方を呼びかけ続ける道を選ばれたのです。

私たちは、いろんなことを知ることができます。
考え、何が良いことで、何が悪いことかを判断することができます。
それは、神様から与えられた大切な賜物、神様の知恵なのです。

何歳になっても、この世界にあるものをより広く、より深く知ろうとすることを、やめないようにしたいと思います。
人は大人になればなるほど、自分勝手に決めつけたり、偏見でものを見たり、知らないことに恐れを感じるようになってしまいがちだからです。
自分の目で見て、自分の手で調べ、自分の頭で考え、偏見なくまっすぐにこの世界を見つめてみましょう。何歳になっても、変わらずそれを続けていきましょう。
そのようにして世界を見る時、きっと神様はあなたを、世界を見渡せる高いところへと連れて行ってくれるはずです。

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