一日一章・マタイ福音書解説(第1章)


マタイ福音書、全28章を読むために役立つ解説を、一日一章、毎日更新しています。
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自分のペースでお読みいただければ幸いです。

マタイ福音書第1章

◆イエス・キリストの系図
1:1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
1:3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
1:4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
1:6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
1:7 ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
1:8 アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
1:9 ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
1:10 ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
1:11 ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
1:12 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、
1:13 ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
1:14 アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、
1:15 エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、
1:16 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
1:17 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。
◆イエス・キリストの誕生
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。


ちょこっと解説

新約聖書をはじめて開いた人がすぐさま面食らって読むの挫折するのが、このイエスの系図だろうと思います。
しかし私たちが一番伝えたいことをまず初めに言いたくなるように、このマタイによる福音書が言いたいことはまずここにあります。
つまり、イエスは突然現れた他宗教の救い主ではなくて、「旧約聖書の(つまりユダヤ教と地続きの)神様がこの世に送られた救い主メシアである」ということです。

ユダヤ人たちはユダヤ人の父祖であるアブラハムを信仰のモデルとし、アブラハムの子孫であることをアイデンティティとしていました。
そのためイエスも同じアブラハムの子孫であり、また「メシアはダビデの子孫から出る」という旧約聖書の預言がイエスにおいて成就したということを表すために、系図を初めに置いているのです。
また、聖書では数字に意味を持たせて使うことがありますが、ここでは「十四(代)」という数字に意味を持たせています。
ヘブライ語でダビデの子音(ヘブライ語のDWD)を数字に直し足しあわせた数字であることから(D=4、W=6で4+6+4=14)、イエスがダビデの子孫であることが強調されています。

イエス誕生の物語ではイエスと母マリアに焦点が行くことが多いですが、マタイによる福音書ではマリアの夫ヨセフと彼の信仰(神に対する正しさ)に光が当てられています。
ユダヤ教では女性は男性(夫)の財産として数えられていましたから、社会的に弱い立場にありました。
旧約聖書の神様が本来人に願った隣人への憐れみ深さを持つヨセフは、離縁することでマリアのいのちだけは守ろうとしたのです。

本来、夫以外の子どもを身ごもった女性は裁判にかけられ、石打ちの刑で殺されることが普通でしたし、訴えず離縁しても苦しい生活を余儀なくされることは明白でしたから、ヨセフとしても苦渋の決断だったに違いありません。
しかし神様は天使を通じてヨセフに語り掛けます。マリアを離縁するのではなく妻として受け入れ、自分とは血のつながりのないイエスを自分の息子として育てるように、と言うのです。

これは、マリアと離縁するというヨセフの憐れみ深い選択が、それでも他人事として選ばれたことだったという気付きを引き起こします。
マリアを夫として迎え入れることで、マリアの重荷を自分事として引き受けていく心をヨセフに教えられたのです。
それこそが本当の愛の在り方であり、イエスが生涯を通して教えようとされたことの予告にもなっているのです。

神様は私たちを、誰かの痛みと重荷を共に担う道へと導かれます。そしてそこにこそ、救い主イエスは生きておられるのです。

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